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燦の概論レポートマニキュアの語源
「マニキュア」とはラテン語で「マヌス(手)」「キュア(お手入れ)」のことを指します。つまり「マニキュア」とは爪に対するお手入れのこと。日本ではマニキュアといえば、ネイルカラーのことと理解されていますが、本当は広義のネイルケアのことを指しているのです。普段私達が「マニキュア」と呼んでいるものは、本当は「ネイルカラー」「ポリッシュ」「ネイルラッカー」などと言います。 ちなみに「ネイリスト」という言葉の発祥は日本。海外では「マニキュアリスト」「ネイルアーティスト」等と呼ばれています。日本では、日本ネイリスト協会が主催するネイリスト技能検定試験やインターナショナルネイルアソシエーションが主催するネイルスペシャリスト技能検定試験などの試験制度があり、ネイリストの技術を評価する一つの基準になっています。
マニキュアの歴史とその発展
世界 古代エジプト時代(今から約5000年前)
ネイルの歴史は、古代エジプト時代(紀元前3000年以前)にさかのぼります。この時代のミイラの爪先を見ると、今でいうネイルのような装飾がしてあるのです。これを分析すると、この装飾は「ヘンナ」という植物の花の汁を使って染めているものだそう。階級が高くなる程真紅に近い濃い色をつけていたとか。古代エジプトでは、爪先の色が階級を示す一つの道具になっていたのです。ヘンナの赤っぽいオレンジの染料で染め、王と王妃は 濃い赤、その他の者は薄い色しか許されていなかったようです。クレオパトラは爪の色で社会的階級を競ったと言われています。 エジプトやローマの武将は戦いの前に、ヘアーセットだけでなくマニキュアを塗って、戦陣に赴いたとも言われています。紀元前2000年頃のバビロニアの王族の墓から、黄金の品物と同じようにマニキュアセットが発掘されています。マニキュアやペディキュアは高い身分を示す、大きなステイタスだったようですね。
ヘンナはミソハギ科の低木で和式名は指向花という植物です。
ヒンドゥ教では、ヘナを富と吉祥の女神ラクシュミーが好む植物で「幸運を運ぶ」と信じられています。 今でも中近東やインドの女性たちが爪に限らず、髪染や手足への化粧方法のひとつとして用いています。昔のペルシアなどでは花嫁がする特別な化粧でしたが、砂漠での皮膚の保護や魔よけの意味もあって、今日まで利用されています。なにより手や足に繊細な文様を描くと、まるで紅いレースの手袋をはめたように鮮やかな化粧となります。トルコなんかは街角でヘンナで文様を書いてくれるお店があるみたいなのですよ。 古代人は、神様、悪霊、大きな力を信じていた。ミイラの爪に付いていたということから考えて、この時代では、二つの使われ方をしていたのではないでしょうか。
1.ミイラは復活し、再生すると考えられていたので、悪霊が入らないようにする為。 保存の法則ー腐らないようにする手段。 2.子孫繁栄の為の化粧。 ギリシャ・ローマ時代(B.C.5世紀~A.C.5世紀頃) ギリシア・ローマ時代に上流階級の男女の間で流行し、マヌス・キュアという言葉が生まれ、アロエ、バラ、桃などは肌をスベスベにして、保湿してくれるということがわかる。 階級差が出てくることで様々なものが生まれた。 中世・ルネサンス(A.C.14~16世紀) 中世・ルネサンスの芸術の発達とともに、マニキュア術が発達し、手の化粧が重視されるようになりました。 また唐の時代の楊貴妃は爪を染めていたというのも有名なお話です。世界のあらゆるところで、古い時代から爪先の装飾がなされていたという話が残されています。日本では、江戸時代に爪を染める習慣があったことが「女郎花物語」などの書籍に書かれています。その方法は、ホウセンカの花とカタバミの葉を揉み合わせたもので爪を染めるというもの。ホウセンカは古名を「爪紅(ツマクレナイ)」というところからも、この時代の爪を染めるという風習が広く知られていたことがわかります。
・芸術が発達した時代
・世界遺産が多数生まれた。 ・スポンサーなどの様々な階級差ができ、同じに貧富の差が生まれた。 みほり先生のおすすめ
目黒がじょうえん(博物館もある) ・100段階段の踊り場に部屋があって、当時、様々な芸術家が住んでいて、それぞれが独自にアレンジした部屋が残っている。 19世紀 近代・19世紀の欧米の女性の間では、ピンクの透きとおった爪が好まれ、爪に蜜ろうや油を塗り、セーム皮でみがくという技術が生まれ、マニキュア師(今のネイリスト)という職業もあり、マニキュア箱も売られるようになりました。 本格的に爪の手入れが始まったのは18世紀。
西欧のおしゃれは爪を磨くこと(バッフィング)が中心で、貴婦人のマナーのひとつとなっていました。指先が重要視され、ハンマム(hammmam)と呼ばれた美容院でクリームを用いて爪の手入れをしたのが始まりです。現在のようなエナメルはずっと後の1920年代以降に衣服の変化と共に流行しました。 当時は砂で爪を磨き、その後にレモンやアーモンドの油を塗って磨くのが爪のために良いとされていました。これが健康としての手入れの始まり。砂は今で言うやすりの代わり、レモンはビタミンを補給して瑞々しさを保つため、そしてアーモンドの油を塗ることで爪のコーティングをしたのです。動物の皮で爪を磨いたりもしていたそうです。
・お洒落なら、やらない人もいるが身だしなみなら全員がやる。
・不器用でできない人が出てくる。 ・マニキュア師という職業ができた。 ・道具を作ることを職業にする人が出てきた。 20世紀 マニキュア用のニスが広く用いられる。(ニス=ボンド) 1930年代 現在のようなネイルラッカーが一般に販売されるようになったのは1930年代。ネイルラッカーは自動車の塗装用の速乾性ラッカーから生まれたそうです。 ・速乾性ラッカーが生まれた。
・工業化が進みベルトコンベアーが主流となり、多くのものを数多く作れるようになった。 ・車もベルトコンベアー式に作れるようになったが最後のカラーソングで苦戦。 ・そこで、フォード社長がすぐに乾く速乾性ラッカーを発明した。 ・1930年にニトロセルロースをまぜてネイルラッカーが販売。 日本
歴史は・・・
中国の影響を受け、平安時代に始まりました。江戸時代の「女郎花物語」などの書籍に、爪を染める習慣があったことが書かれています。 当時は・・・
ホウセンカの花とカタバミの葉を揉み合わせたもので爪を染めるというもの。 ホウセンカは古名を「爪紅(ツマベニ・ツマクレナイ)」と言います。いまでもホウセンカをツマベニやツマクレナイと呼ぶ地方があるそうです。 いずれにしても身分の高い貴族の楽しみだったようですね。 江戸時代、紅花の栽培が盛んになり、口紅の色を濃く塗るようになってきたようで、同時に爪にもベニを塗ったので「爪紅」と呼ばれました。 最先端・・・
遊郭に集う遊女を中心に、爪に色を塗る習慣が広まったと言われています。当時紅花を染料にして、口紅と同様に爪も健康に見せようとしたのです。 文化到来
日本にネイルポリッシュが伝えられたのは明治40年頃と言われています。欧米からラッカー式のネイルが輸入されました。資生堂では大正時代にネイルポリッシュ(爪磨粉)を発売。その後、さまざまな色やラメなどが輸入されました。昭和21(1946)年、資生堂では「爪紅」というマニキュアを発売。戦後初めての新製品でした。流行したといわれる1970~1980年代ころでも自分でネイルを塗るだけで、ネイルケアの重要性も知られておらず、ネイルアートと呼べるまでにはなっていませんでした。 現代のようなポリッシュができたのは、1923年のこと。なんとその元は、アメリカで発明された自動車塗装用のラッカーだったのです。自動車が大量生産される時に必要となった速乾性のラッカーが、ポリッシュに応用されたというわけです。その後日本に本格的に入ってきたのは1970年代のことでした。
有名人
ネイルアートが日本で注目されるようになったのは、1988年のソウルオリンピックで短距離ランナーとして活躍した、フローレンス・ジョイナーさんです。 今までの陸上選手のイメージとはまったく違う、華やかで手入れされた爪。それを見た日本の女性がネイルアートに興味を持ちはじめ、専門サロンが登場。その頃マニキュアリストになった方がネイルケアの大切さやネイルアートの技術を伝え、スクールもできるようになり、1990年代後半には、たくさんのスクールやサロンができ、多くの女性が気軽に楽しむことができるようになりました。 今や・・・
ネイルの技術は人工爪などへ発展し、アメリカではネイルアートが一大ブームとなりました。立て続けにネイルサロンがオープンし、ネイルのみを取り扱う企業も生まれ、一般の人にも定着していったのです。日本にもその流行はまたたく間に広がり、数多くのネイル商品やネイリスト、そしてネイルを愛する女性達に支えられ、現在の日本のネイル技術は世界の中でもトップクラスです。 日本人の爪に対する考え方には古くから忌み嫌うことが多く、あまり良い例えがありません。
①夜爪を切ると、親の死に目に会えない ②爪に灯をともす ③つめを研ぐ ④朝、爪を切るとその日恥をかく アメリカでは
1960年代に多くの女性が社会に出て働くようになりネイルは女性の身だしなみやファッションとして注目を浴び始め、表現力を指先で現すアメリカ人にとってはネイルは女性のマナーとして必然的になりました。 第二次世界大戦後は高価なものであり、歌手や女優、資産家などお金持ちの女性に人気がありました。特にネイルアートなど爪にデザインをして豪華さを楽しんだようです。
当時のマニキュアリストはもちろん白人で、かなりの利益を上げていたようですが、ベトナム戦争後多くのベトナム難民がアメリカに流れ、言葉が話せなくても技術が身を助ける職業として選んだのがマニキュアリストの道でした。白人も安く出来るのであればとベトナム人経営のネイルサロンを訪ねるようになり、今では、カリフォルニア州のマニキュアリストの80%以上はベトナム人です。
歴史に登場してから5000年、ネイルテクノロジーも飛躍的に進化し、ネイルビジネスはアメリカ市場、年商30億ドル以上ともいわれます。
爪の基礎知識 爪は健康状態によって、色や形が変化します。不調になってくると白・紫・赤に変色し、爪が反り返ってしまいます。
爪は私達の健康を写す鏡でもあります。毎日、爪のチェックを行ってみて見るのも良いでしょう。 爪の役割
① 手や足の指先を保護すること ② 物を掴んだり、小さな物をつまんだりしやすくすること 爪の呼吸
爪の表面は呼吸していません。だから、ネイルを塗ってもなんら問題はありません。 しかし甘皮の部分で爪の水分や油分調整を行っているので、甘皮部分にネイルをつけないように塗りましょう。
爪の表面に良くないのは、除光液に含まれるアセトンです。使いすぎには注意しましょう。 爪は皮膚の一部が角質化したものなので、 成分は多くのアミノ酸を含むケラチンという繊維状の蛋白質です。よくカルシウムをとると爪が強くなるなんて言われますが、実際の爪のカルシウム量は0.1%にすぎません。極度の偏食をしない限り、通常の食生活で問題ありません。
爪は薄いピンク色に見えますが、それは指先を流れる血液の色が透けて見えているものです。
本来は無色透明です。 健康な爪は半透明なピンク色に見えて、厚みは約0.5ミリ~0.75ミリ、表面はアーモンド型をしています。 1日に平均0.1mm伸び、1ヶ月に約3ミリ伸びます。
左右の差はあまりないようですが、利き手が早く伸び、その中でも中指が少し早めに伸びて、小指が少し遅れて伸びます。手に比べて足の爪は伸びるのが半分のスピードです。冬より夏に成長が早くなります。大人より子供のほうが早く伸びます。 爪は水分を7~12%含んでいます。水分が減ってくると欠けたり、割れたりします。
みほり先生の話
・化粧の世界のF1はハリウッド。 ・客に「デラックスコース」「スペシャルコース」・・・・と説明するのはばか。
内容を伝えて、客がどういうのもが欲しいか聞いて、では○○が入ってて○○が入ってるのは「デラックスコース」ですというやりとりが大切、それともお客様への提案。 次からは客は○○コースで、とか言ってもらえる、こうやって客が勉強してくれれば、ネイリストもとても楽。 ・化粧品、ネイルはどこで一番発達したかというとメーカーが頑張ったわけでわない。(みほり先生アドバイザーのメーカーは3年先の新色をもう作ったるらしい)
・ファッションは10年ワンサイクル。常にファッションは世界情勢が影響している。
1980~90前の世界的バブル。女性はこにかく女性的にエレガントにする。 でも、シンプル、ヘルシー、流行色なし、ファッションは進歩しない。 ・アメリカはテロがあって、世界のデザイナーはメッセージをデザインにのせて発信、こういったことによって、テロがすごく影響し、とんがっていたデザインをやめた。
やさしい気持ちを伝えたいためにピンクを使う、柔らかい素材を使って、やさしい、女の子らしい、ハッピーになれるものを自由を表現したタイプ。 ・シャネルはセレブが避暑地が被る帽子をつくった。初めは服とかでわなくて帽子でした。この時始めて口紅とネイルを合わせようになった。日焼けした肌に合う赤いポリッシュを出した。
・日本は25年前、オレンジや赤、ピンクしかうってなかった。白なんて売ってない。どうしても仕事で必要な時、みほり先生はポスターカラーで代用したこともあった。
・スカ浮きの原因
1.下手な技術 2.水 ・アメリカの移民問題で、永住権が欲しい人が多く、グリーンカードを出た、短時間で技術が持って独立できる職業がネイルだった。
NYでは韓国人のネイリストが多い。ロスはベトナム人。こういった原因でロスのネイルが大ブレイク、70年ワンブロックに一店あるぐらい。 ・山崎先生は青山で始めてのサロンをOPEN。
六本木もインターカット。 ユミクリがサロンをOPEN。 こうしていくつのサロンができた。しかし技術者も材料もなくて、値段は高い。みほり先生が行ってみたところ、14万の給料を全部下ろして、ケアとアートを注文して、8万ぐらいだった。これでも客はたくさんいた、チップで10万くれるような客はかりだった。しかしこんな職が長く続ける訳なく、3,4年くらいで終わった。 ・80年、ジョイナーがブームを出した、80年後半再ブーム。お洒落に対して、シャネルが新色を出た。しかもNY限定カラー。みなんが飛びついた。マドンナがショートネイルでバンプカラーを塗った。
この頃、デパートにサロンができ始めた。ライフスーパーの社長がネイルサロンやりたいベンチャーやりたいって言ったらとある女の子に投資してくれた。 ・ニッシンスペースネイルの佐竹社長は、レジンがアメリカ西海岸で売れまくってるから、なぜか調べて来いって言って、ネイルで売れてることがわかった。
材料を作ったが売る相手がいない、そしてスクールを作った。でも卒業生が就職先がないから、ついにサロンも作りました。こうやってサロンが増えていった。これはライフの時代と同じ頃。 この頃のネイルの維続のきじはケアばっかりだから、ケアが注目される時代がきた。 ・ラメは粉砕処理機のが発明されたから、これを色々応用して、アクリルのケースとか、化粧品とか、ネイルに入れました。
みほり先生の名言:技術者は「負けない、1位になる」という気持ちが大切、負けす嫌いとかないとダメ! TrackbacksThe trackback URL for this entry is: http://babyyuka.spaces.live.com/blog/cns!DBCFFB568E40E652!798.trak Weblogs that reference this entry
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